福岡の探偵から見た世界

福岡に忍び寄るコロナ渦

昨日まで、新規のご依頼をストップし、その空いた時間を利用して、COVID-19に関する手記やブログを読み漁りました(主に海外のもの)。

読み込めば読み込むほど、海外と日本の温度差や意識の違いを痛感しました。そして、天災やテロ・事件と違って、コロナウィルスは全世界共通の災いであり、日本にとって決して他人事ではないのです。

世間の枠組みから外れ、組織のしがらみのない私立探偵だからこそ、感じるもの、気付ける点があるかもしれない、とブログにまとめるネタを考えているうちに、時は過ぎ、状況は刻々と変化していきます。

 

情報の選択

コロナウィルスと向き合うため、本当に有意義な情報は、最前線で立ち向かう医療従事者や、厚労省、損得勘定抜きで問題を啓発してくれている専門家の記した記事を見るのが一番正解でしょう。

SNSを見れば、自分が見たい記事、面白い投稿、共感を持てるつぶやき、刺激的な画像などはいくらでも出回っています。

しかし、今必要なのは、正しいか間違いかはともかく、「自分で考え、自分で選び、自分で行動すること」ではないでしょうか。

私は、探偵業界という狭い世界に生きてきたため、なんでも自分で考え、自分で選び、自分で行動してきました。正解か間違いだったか、客観的な評価は出来かねます。おそらく、正しいときもあれば、失敗もあったでしょう。

しかし、後悔はありません。そして、少なくとも、死なずに今も生き残っています。

そんな私が、自分なりに考えたことを率直にここに記します。

 

コロナ問題がはらむ矛盾

生き死にに直面する人々の、のっぴきならない手記を立て続けに見たせいか、文章が感情的になっているきらいを自分でも感じます。本題に戻りましょう。

コロナウィルス問題で私が特に強く感じているのは、今回の記事のタイトルにもなっている『矛盾』です。

そもそも、ウィルスに対して、ひとは被害者にもなるし、加害者にもなります。感染者は、自分がウィルスによって健康を害される可能性があると同時に、接触した相手をもそうさせてしまう危険性をもっています。

だからこそ、普通の病気のように、「自分は被害者である」という意識だけでは足りないということです。

それはマスクの扱いにも現れています。

 

マスクは他人を守るもの

マスクは一見『防具』としての形状をしているせいか、自分がウィルスから身を守るためのものと見られがちですが、本来の役割は、「自分の口から、ウィルスの混入した飛沫を出さないため」のものです。

マスクの買い占め、争奪戦が起きたのも、やはり「自分の身は守りたい」「自分は病気になりたくない」という利己的な意識が先に来たからでしょう。

ほんとうの意味で、身を守るために最も有効なのは「手洗い」だそうですが、私の見る限り、そちらはマスクの買い占めほど必死になされているようには思えません。冷たいですしね。

 

矛盾がメンタルに与えるストレス

矛盾はたいへんなストレスを精神にかけます。探偵という仕事自体、矛盾のかたまり(近づいたらバレる。でも近づかないと情報が取れない)ですからよくわかります。

だから、コロナウィルスの矛盾……「自分は被害者でもあり、加害者にもなりうる」という事実を、きちんと冷静に考えているひとが少ないのかも、と思います。

本能がそれを避けているのかもしれません。

 

ウィルスVS人類の戦争

いささか物語的で子供っぽい考えかもしれませんが、個人的には、世界各国の首脳による「コロナウィルスに対する宣戦布告」くらいのショーがあっても良かったのではと思っています。たとえカタチだけのものであっても。

この期に及んでも、危機感の足りないひとが大勢居るからです。

旧態依然のシステムや、縦割り行政、トップダウンできない政治の構造から、日本は思いきった対策がとれていないのは明白ですが、同盟国であるアメリカが「宣戦布告」し、戦争状態になったというカタチによって、もう少し迅速かつ思いきった行動が取れたかも……という気持ちがあります。

極論なのは承知の上で。

 

いま目の前にある現実的な危機

私が自分の周り(福岡市の東区ということですが)を見て思うのは、やはり危機感の薄さです。

さすがに出歩くひとは少なくなり、マスクをしているひとが多く目につくとはいえ、それでも皆が日常的な生活を営み、危機感を共有しきれていない雰囲気を感じます。

諸外国、特に強気な国民性をもつアメリカが、なりふり構わぬロックダウンをして事態の収束を図っていることが、コロナウィルスの脅威を何より物語っています。

今はすでに、「おおげさ。騒ぎすぎ」とか「致死率考えたらインフルとそう変わらん」とか「老害が排除されて社会が若返るwww」とか、そういうことをのんきに言ってられる状況ではありません。

それでも、日本の政治の性質上、強制的な措置はそうそう取れないため、「自粛」という言葉を使うしかないのですが、それが徹底しているとは思えません。

これが「人類VSウィルスの戦争」である以上、徹底的にやらないと負けるんですが、残念ながらその意識は浸透していない気がします。

煽っているわけではありません(そんな時期はすでに過ぎています)。現実をちゃんと見なくてはならない時期だということです。

 

もう一つの矛盾

しかし、自粛要請の効果が完全ではなく、人々が普段通りの生活をしているのは、何も危機感の欠如だけが理由ではありません。

そうしないと暮らしていけないからです。そこにもうひとつの厄介な矛盾があります。

ウィルスの戦略は極めてシンプルで、「健康で、行動的で、社交的な生物に潜み、その生物が接触する他の生物に感染して、自らを増殖させること」ただひとつです。

つまり、カウンターとなる戦略もシンプルに「動かず、出歩かず、誰とも接触しない」ことだけ。ロックダウンとか、外出自粛とか、表現はいろいろですが、言ってることはつまりそれです。

しかし、そうやって家に籠もっていては、働くことができず、収入は途絶えてしまいます。人間の社会は、家から動かず、誰とも接触せず、じっとして成り立つようには出来ていないのです。

動いたらウィルスに勝てない。しかし、動かないと生きていけない。これこそ矛盾の極みと言えるでしょう。

 

シンプルな戦法

この矛盾を解く答えもまたシンプルで、

「他人との接触を絶って拡大を防ぎ、時間を稼いで、ワクチンを開発するか、集団免疫を獲得する。重症化した患者にのみ、限りある医療リソースを集中。そして、その間、人々が仕事をしなくても生活を維持出来るよう、現金や食料を給付する」

……ただ、それだけです。

ただそれだけのことなのに、それが出来ないという現実こそ、コロナウィルス渦によって発露した、社会の矛盾なのかもしれません。

 

個人が乗り切るための方法

我々、個人がこの矛盾に立ち向かうため出来ること、それは私にもわかりません。

しかし、他力本願に「誰かが助けてくれる」「状況に身を任せればそのうちなんとかなる」と考えて思考停止することが、もっとも避けるべきなのは間違いありません。

たとえストレスであっても危機感を持ち続け、ありとあらゆる方法を調べ、考え、実践して、なんとか今を生き抜く。それだけです。

 

尾行・証拠撮影を得意とするもり探偵事務所は、福岡の私立探偵です。福岡のみなさん、なんとかこの問題を乗り切りましょう。