福岡の探偵から見た世界

 

真実はひとつ! のわけがない

探偵としての私のモットーは、「事実は目の前にしかない。真実は自分の中にしかない」。

クサいセリフですが、Twitterのプロフィール欄にふと思いついて書きました。しかし、長年探偵を続けて行き着いた結論でもあり、わりと気に入っているコピーです。

「真実はひとつ」だなんて言いきる探偵も居るようですが、(ちなみに私はそのマンガをろくに読んだことがありません)そもそも『真実』ほどあやふやで不確かなものはありません。

オトナの世界における『真実』とは、『事実』に個人の事情や都合、独自の価値観や解釈が加えられた、流動的なものだからです。

(真相とは隠ぺいする技法のこと、という誰かの言葉もありました。ヒネくれてますが、言い得て妙です)

 

探偵にとっての事実と真実

探偵は、目の前にあるものだけを、写真という客観的な『事実』として押さえ、そのままのカタチで依頼人に提供します。

それがどう見えるか、どんな意味を持つのか、どうまわりに影響し、どう扱われるかには、個人的な心情を混じえるべきではありません。

それは依頼人によってのみ決められることだからです。

話が飛びましたが、今回の記事で私が言いたいのは、ただひとつ。

「まっとうな探偵は、目の前に起こった事実を、冷静かつ客観的に受け入れるべき」ということ。

そこに、自分の考えや想像や解釈を混じえてしまったとき、それは『事実』ではなくなってしまうのです。

 

真実と正しさの違いは、ゲームオーバーになるかどうか

では、『真実』と『正しさ』との違いはなにか。

『正しさ』もまた、真実と似たような性質を持つあやふやなものであり、その定義は難しいのですが、「生き残るために必要な要素」というのが私の考えです。

人生には、いくつかの選択肢から正解を選ばないとゲームオーバーになる局面があり、そんなときは、好むと好まざるとにかかわらず、「何が正しいか」を見極めなければなりません。

コロナウィルス禍がまさにその局面だと私も思っていました。そして、出来る限り「正解」を選ぼうと。

しかし、いくら事実を集めようとしても、なかなか苦戦しています。

 

事実とは客観的統計的なデータ

事実すなわち、統計的なデータ。それも広範囲における、なるべく長いスパンでの、冷静冷徹な数字に裏付けられたものです。

そう考え、ネットで常に向こうからやってくる、扇情的な記事や偏ったニュース、自称・識者の論説や知識人のつぶやきだけを盲目的に受け入れるのではなく、海外の(翻訳前の)ニュースや、Facebookで繋がりのある外国人との個人的なメッセージのやりとりをソースに、コロナウィルスにおける事実の収集を行ってきました。

(そのいくつかは記事にも書きました。福岡のイチ私立探偵が、調査とは関係ない専門外の分野について、一生懸命、クドクドと!)

しかし、いっこうに事実が見えてこないまま、福岡の緊急事態宣言も解除に向かい、世情も少しずつ楽観ムードに傾きつつあります。

 

現時点でのコロナの真実

コロナウィルスにおける真実は、「日本では大事に至らなかった」という結論に落ち着きそうです。

それを否定できるだけのデータも材料もありません。自分の身の回りでも、コロナによる死亡者は居ないからです。

私はどちらかと言えばコロナに対しては危機感が強いほうでした。

その根拠は、未知のウィルスに対する想像的な恐怖や、ネガティブで臆病な性格ゆえではなく、海外における悲惨な状況という客観的データによって、です。

しかし、同様に、客観的な事実を根拠にするなら、本当に日本では深刻な被害は発生していないのです。

どうして、日本では事態が深刻化していないのか。なぜ、海外ではあんな悲惨な状態になっているのか。

それがはっきりと見えてこないため、「目に映るものだけを信じる探偵」としては、すっかり困惑しているというのが、今の私の偽らざる心境です。

 

どうして日本ではコロナが深刻化しないのか

ドイツ人とメキシコ人とパキスタン人の知人が居て、個人的なメッセージのやり取りをしたところ、それぞれの国でコロナは深刻な事態となっているそうです。

コロナウィルスに対する考え方に国民性が出ていて興味深いのですが、

(例えばパキスタンでは、アラーへの信仰心がコロナから救ってくれると信じられています。メキシコでは、そもそもコロナウィルスの存在を信じていない人が多いそうです)

そんな彼らから見ると、日本の被害の少なさは、「勤勉で清潔な生活習慣と、他人への思いやり」によるものと思われているようなのです。

日本人である私と親交を結び、メッセージのやり取りをするくらいですから、そもそも新日感情の強い人々なんですが、それでも日本と日本人に対する好印象と美化を強く感じました。

確かに日本は、まめに手洗いをし、公衆衛生は清潔で、土足の習慣もなく、マスクに対しても抵抗が少ない国民性ではあります。

しかし、それだけで、被害甚大な国と日本とが、こうも違う理由になるのでしょうか。

 

一般論はいろいろあるけれど

よく言われるのが、結核予防ワクチン『BCG』による免疫の獲得です。

論理的な理由の欲しいひとにとってはいかにもな説ですが、これとてはっきりした事実とされるにはデータ不足です。

そもそもそんな単純な理由だというのなら、ワクチン開発よりもずっと手軽に実証できますから、権威的な機関からとっくに何かしらの声明が出ているはず。

ワクチン開発には、副作用のリスクや治験、承認、認可などの障害が多々ありますが、古くから存在するBCGなら、少なくとも副作用の危険も人体実験の必要もないからです。

しかし、この期に及んで誰もはっきりしたことを言わない以上、その効果は疑問と思われます。

次に、アジア人のDNA的な性質によるもの。

想像だけならこれにも説得力はあります。確かに事実として、アジア諸国はコロナウィルスの被害が少なく、白人種の欧米に被害が集中しています。「白人種はコロナに弱い」という説も否定は出来ません。

しかし、それもまた想像の域を出ません。

それから、生活習慣に起因する説。ざっくり言ってしまえば、『肥満の多さ』です。

美しく均整の取れた男女ばかり登場するハリウッド映画を見ていたら想像もつきませんが、欧米、特にアメリカの肥満率はすさまじいものがあります。

コロナに罹患した際、糖尿疾患のある患者は重症化しやすいというのはデータに裏付けられた事実ですから、日本人の肥満の少なさに理由があるというのもまたひとつの可能性と言えます。

しかし、結局のところ、どれも『事実』と判断するにはデータ不足です。

 

第二波はくるか

被害の少なかった日本だけでなく、世界各国で停滞していた経済の再開が始まりつつあります。次の懸念は当然のことながら第二波の感染拡大です。

事実で語るのであれば、過去に起こったパンデミックでは、必ず第二波の流行は起きています。感染力の強い新型コロナもまた、同じ道をたどる可能性は非常に高いと思われます。

しかし「思われる」というのがどれだけあやふやでアテにならないかを、今回の日本のコロナ騒ぎで痛感しました。

てっきり私は、日本でもある程度の被害は避けられないと「思って」いたからです。

それを考えるのなら、先のことなんて誰にもわからず、想像に意味はありません。事実を事実のまま受け入れる……いつもの結論に落ち着くというわけです。

そのとき、どんな真実がそこに見えるか。

それは、本人の心がけ次第ということでしょう。

 

尾行・証拠撮影を得意とするもり探偵事務所は、福岡の私立探偵です。ときどき、探偵・浮気調査以外のことも真剣に考えます。