初めての依頼は失敗の成功だった3
これ尾行がバレてる?
初めての面談が、予期せぬ初めての調査になり、しかも現れた対象車両はまさかのダンプカー。
おまけに、ダンプは大牟田のガランとした道路を走り、海沿いの県道に入ったかと思うと、歩きでもなかなか入っていかないような細い踏切を抜けて、暗い松林に入っていきました。
経験を積んだ今ならまず思います。
「これバレとるやろ」
仕方なく尾行中断。そしてまさかの展開。
ダンプは松林の中の舗装もされていない道を進みます。
右手は護岸コンクリート、片側はうっそうとした松の壁。
普通車でも走りにくい細い道です。
なのにダンプは、松の木の枝スレスレをグイグイためらいなく進んでいきます。
どう考えても、バレたか、警戒されてるか、誘い込まれてるか。
頭の中で警鐘がガンガン響きます。
待ち伏せされ、ラチされた探偵の話が頭をよぎるが……
当時付き合いのあった福岡の探偵会社の調査員の話が頭をよぎりました。
とっくにバレていた対象者を、社長の命令で中止できず、ひたすら追い続けた挙げ句、待ち伏せされ、捕まったという話です。
水の入った洗面器に顔を漬け続けるようなプレッシャーに耐えられなくなった私は、「ぷはー」っと息を吐いて車を止め、調査車両を松林の奥に隠しました。
そんな暗いまっすぐの松林を、バカ正直に張り付いていくわけにはいきません。
だいたい、喫茶店からそこまで、すでにけっこうな時間尾行していました。
それも、GPSに頼らず。
いいかげん、発覚の可能性を考えないわけにもいきませんでした。
尾行の鉄則は「目を離すな」「離れるな」だけど……
尾行の鉄則は「目を離すな」「相手から離れるな」です。
おまけに、調査目的は『居住地の割り出し』。肝心なところで距離を開けるのは、普通なら厳禁です。
が、待ち伏せされてとっ捕まるよりはマシです。
とても追える状況ではありませんでした。
が、離合も出来ない狭い松林の道にダンプが入っていく以上、そこが目的地・終着点である可能性があるのでは……
と急に冷静な考えが浮かびました。私は根っからの探偵です。
「海岸に小屋建てて、ホームレスでもしてんのか……?」
そんな失礼なことを考えながら、私は息を殺して状況を見守っていました。
突然、現れた軽自動車。あわてて車に飛び乗る私
そんな私の目の前を、とつぜん、小さな古い軽自動車が、猛烈なスピードで横切っていきました。
「……マジかッ」
とっさに体が動きました。隠れていた松の木陰から飛び出し、慌てて車に飛び乗りアクセルを踏みました。
ダンプが消えた先に車を走らせます。その先にあるのは、対象者の住むボロい小屋……
勝手にそう決めつけていた私は、出し抜かれたとわかり、呆然としました。
初めて見る軽が向こうから来たということは、その先には他の民家があるか、車道への抜け道があるか。
どっちにしろ、袋小路なんかではなかったのです。
だとしたら、松林を抜けたダンプをロストしてしまう。それに気づき、全身から血の気が引きました。
自信と挫折
しかし、展開はさらに予想外の方向に進みます。
車を出して進んだその先には、松林が切り開かれた広いスペースがあり、そこにはもぬけの殻になったダンプがありました。
その空き地は、対象が『軽自動車とダンプを乗り換える駐車場』であり、すれ違ったさっきの軽に乗っていたのこそ、じつは対象者そのものだったわけです。
対象者の男は、自宅近くにダンプを止める場所がなかったため、この松林で自家用車である軽と乗り換えて、家と往復している……
と、そういうカラクリでした。
初めての依頼で失尾……
こうして、不可抗力とはいえ、私は初めての依頼で、相手をロストしてしまったのです。失敗です。
「自分には探偵としての天賦の才能がある」
……そう信じて疑わなかった私の若い傲慢は、いきなり崩されてしまいました。
「依頼人になんて言おう……」
月の浮かんだ暗い荒尾の海を見ながら、頭を抱えたものです。ひどい自己嫌悪と敗北感でした。
失敗だと思った件は、本当は成功だった。
とはいえ、二十年の経験を積んだ今の私が断言します。
これは失敗でもなんでもありません。
むしろ、準備不足のぶっつけ本番で、こんなイレギュラーな対象を、GPSにも頼らず追跡し続けたのです。
そして、へんぴな場所にある車の乗り換えポイントまで、一日で特定させたわけですから、成功も成功、上出来と言っていいでしょう。
ベテランでも厳しい高難度調査。でも、自分に出したのは失敗という苦い評価。
しかし、その日の私が自分に出した評価は……「失敗」
若い私は、追跡を完了できなかった自分を許せず、屈辱と敗北感から目を背けられませんでした。
「初めて自分でとった依頼」「初めての面談……からのいきなりの調査」「ていうかダンプ」「ぶっつけ本番やり直し不可。GPSなしの一発勝負」「ロクに知らない大牟田の、ガランとだだっ広い田舎の道」「とつぜん松林に入っていく対象車両」「袋小路で、情報にない車にいきなり乗り換えという、行動調査でも屈指の高難度展開」
気に病む必要も、恥じる必要もありません。
こんなことでいちいち落ち込んでいたら探偵なんてできません。
というか、同じ状況でここまでやれた探偵は、ベテランでも多くはないでしょう。
それでも、私にとっては苦い思い出でした。一生忘れられないのも当然と言えます。
探偵としての二十一年と珈琲の香り
あれからずいぶんと時間が経ち、何千件もの現場をこなしました。
この現場に負けないほど、困難で、驚きの展開になった案件も、たくさんありました。
しかし、やはりあの古い昭和の喫茶店で受けたこの初依頼は、特別の、忘れがたい思い出として、いつまでも私の中にあります。
ちなみに、この初依頼は、その後無事に終わらせることができました。もちろん成功です。
依頼人からもちゃんと感謝され、「初めてのお礼と感謝の言葉」が、初めての調査の結末となったのです。
23年経った今、その大牟田郊外にポツンとあるモダンな喫茶店に、今度は客として訪れ、コーヒーの馥郁たる味と香りを楽しみながら、探偵人生の古い思い出に浸りたいと思っています。