AIの進化と探偵力
遅まきながら、チャットGPTに触れる機会がありました。
そこでの感想は、多くの人と同様のものでしょう。なんだこのシステム。
おおぜいの有識者が危惧している通り、このシステムは、人間の行動様式や社会の価値観を、一変させてしまうインパクトがあると、私も感じました。
これはごく個人的な感想です。
「機械のような人間」は、この「人間のような機械」に、今後まっさきに淘汰されるのでは、と思います。
機械のような人間がもてはやされるのも、あとわずか
「機械のように正確」「マシンのように冷静」「コンピュータのように豊富な知識がある」
……これらは、今までの社会ではホメ言葉でした。
感情に流され、冷静さを欠き、ズボラで、物覚えも悪い……それが、どこにでも居る当たり前の人間。
でも中には、「まるで機械のように」優秀な人が居て、学校でもスポーツでもビジネスでも、あらゆる分野で一目置かれ、アドバンテージを発揮してきたわけです。
そういう人は、
といった欠点も付き物。しかし、その欠点をさし引いてもなお、「普通の人間を上回る処理能力」は、強力な武器だったのです。
けれど、どんなに「機械のように」脳みその優れた人でも、記憶力や処理能力、正確なタスクにおいて、機械には絶対に勝てません。
ウサイン・ボルト選手が、原付にも負けるのと一緒です。(100メートルの世界記録は、時速37.58キロ)
これまでは、社会的価値の高かった「まるで機械のように記憶力や処理能力が高い人」……
そういう人たちは、もっと使い勝手がよく、素直で、誰にでも扱えるAIの進化により、
単なる「気難しくて、情緒に欠け、プライドが高く、狡猾な性格の、人件費が高い人」になってしまう可能性があるような気がしてなりません。
行動力とコミュニケーション力
話は飛びますが、私が探偵を開業した2000年ごろは、「変わったことをするな」「他人と違うことをするな」という、すさまじい同調圧力がありました。
(今の20代には想像もつかないでしょう)
なにか行動を起こすには、他人と違ったことをするのを恐れない「勇気」と「覚悟」が必要だったのです。
今はそんな空気まったくありません。むしろ、行動しないほうが損という風潮です。
行動力は、もはや武器にはなりません。
そのかわりに、これから必要になってくるのは、コミュニケーション能力じゃないかと思います。
コミュニケーション能力とは、相手の良さを引き出す力
コミュ力とはなにか。話し上手ということか。
これについては、私は心理学者ではないため、はっきりした類型化・言語化は難しいです。
ただ、単なる「話し上手」ではないと思います。
自称・話し上手は、単に言語のアウトプットが達者という場合が多く、「自分の話をしているだけ」の人がけっこう居るからです。
私の考える本当のコミュニーケーション能力……それは「他者への興味・関心」
会話をしながら、他人の引き出しの中から、その本人も意識していなかったネタを抽出し、それを価値あるものとして加工する能力です。
タイパと人間的な魅力はたぶん両立しない
ユニークなキャラでもなければ、口達者でもない人物と話しても、会話を上手に盛り上げ、楽しい雰囲気を作り、あたかもその相手が魅力的な人物であるように演出する……
これが、私の考えるコミュニケーション力です。
相手のいいところを引き出す能力と言ってもいいでしょう。
この能力を存分に発揮して他人と接しても、損得勘定だけで見た場合、具体的な見返りが得られなければ、時間とエネルギーのムダ。
はなはだ非効率で、タイパ(タイムパフォーマンス)の悪い行動と言えます。
でも個人的には、タイパなんて言葉が頭にある人より、損得勘定抜きに話して盛り上がる人の方が、強い人間的魅力を感じます。
効率重視で合理的な世の中だからこそ
AIは、基本的には効率とメリットを最重視する設計のはず。
リターンもメリットもなく他人にサービスするなんて、非効率で、まったく理解不能な行為でしょう。
この理解不能で矛盾した行為は、「だって人間だもん」という、あやふやで非論理的な言葉で説明がつきます。
そして、この理解不能で矛盾した人間臭さの中に、「魅力」という人類最大の謎が隠れている……
これが、ずっと人間の裏表を観察してきた、探偵としての私の持論です。
機械と、機械のような正確さや記憶力で対決しても負けるだけ。
魅力という、うまくは説明できない、機械には絶対に理解できない「人間味」にこそ、これからの武器が隠されている……それが私の考えです。
ちなみに、この主張に対して、同意や共感は要りません。
ニッチでマイノリティな考えだからこそ、レアな武器たり得るからです。