風の情景

もうずいぶん前のことですが、同業者の車に同乗するとき、いつも定番のBGMがかかることに気づきました。

聞いてみると、調査の現場に入るときは、決まった音楽を流してモチベーションを高めるそうです。

その探偵は、業歴30年以上というベテランで、かかっているのはベートベン「第七番」と「第九」でした。

調査のたびに「第九」がかかるというのもなんだかスゴイですね。壮大過ぎて。(ベトシチはまだしも)

 

でもそういう探偵は意外に居て、私が聞いた中でも、

「ルパン三世」

「ミッションインポッシブルのテーマ」

「BAD CITY (松田優作の探偵物語のOP)」

「特命係長」

……あたりを、調査のMy BGMにしている探偵と会ったことがあります。

 

探偵の仕事はメンタルコントロールが最重要。BGMをうまく使うのはけっして間違いではないと、と私も思っています。

(コテコテの「っぽい」曲だと、ちょっと恥ずかしいですが)

車両尾行は言ってみればサイレントカーチェイスですから、ルパンの例の曲などピッタリではあります。

でもテンション上がりすぎて、ちょっと危ない気はしますね。

(ミッションインポッシブルのテーマも、同じ理由でハマり過ぎるとアブナイです)

 

ひるがえって私といえば、とくに定番BGMというのはありません。

車両尾行のときに「っぽい」BGMなど流しません。(そもそも音楽をかけて追跡などしません)

けれど、ひとつ、聞くたびに調査のイメージが湧き上がる曲があります。

それが、木住野佳子(きしの よしこ)さんの「風の情景」です。

 

 

あれはもう15年以上前のことです。

福岡のもり探偵事務所のもとに、長崎の依頼人から電話が来ました。

緊急依頼です。それもとびきりの喫緊のやつです。なにしろ、「二時間以内に長崎県某所のファミレスに来てほしい」というのですから。

 

ナビでは、福岡の私の事務所から高速道路で約1時間30分。不可能な数字ではありません。

もう少し詳しく事情を聞いたところ、

「じつの娘(二十歳くらい)が今にも男と駆け落ちしそうである。今はなんとか引き止めてファミレスで話をしている。が、いつまで足止めできるかわからない。探偵さんには、娘が飛び出していったあとを追跡し、どこに行くか突き止めてほしい」

……という父親からの依頼でした。

「なんでウチに?」と時計を見ながら私は尋ねました。

「別の探偵さんから紹介されました。福岡のもり探偵事務所ならなんとかしてもらえるかもって」

 

私は、普段から用意してある緊急調査パックを引っつかみ、車に飛び乗りました。すぐに都市高速に入り、九州自動車道へ。

そして、鳥栖、佐賀、長崎と、一心不乱に車を飛ばしました。

二時間以内と言ったって、それは依頼人の希望的観測。今この瞬間にも、娘さんは男の車に乗って、いずこかへ消えてしまうかもしれないのです。

そのとき、たまたま調査車両の中でかかっていた曲が「風の情景」でした。

 

折しも、季節は真冬。

高速道路は雪に包まれ、猛スピードで現場に向かって走る私の視界は、吹雪で真っ白でした。

その雪景色。眼の前で舞う白い吹雪。間に合うかどうかの瀬戸際の緊張。期待された探偵の高揚感。娘を心配する両親のためになんとか結果を出したいという義務感。自分ならきっとやれるという不思議な自信……。

そういった様々な感情が、清廉な雪景色と混じり合い、流麗なピアノに乗って、不思議に渾然一体の感覚となったのを、今でもハッキリと覚えています。

 

けっきょく、私が現場に到着した瞬間、まさに娘さんが相手の男の黒いステーションワゴンに乗り込むところでした。

写真も見ていないのに、私はすぐにそれが対象者だと気づいたのです。

駐車場で、青ざめた顔でファミレスから出てきた中年男性と目が合いました。電話してきた父親です。

私はうなずいて、すぐにそのまま尾行を開始しました。イレギュラー中のイレギュラーです。私はそれをもって契約が成立したと判断し、そのまま調査を敢行。

そして、なんとか追跡の果てに、男と依頼人の娘が駆け落ちした先を突き止めたのです。

(その後、女を食いモノにする最低の男だとわかりました)

 

私の1000件を超える探偵の現場の中でも、あれほどインパクトがあった調査はなかなかありません。

「風の情景」を聞くたびに、私はそのときのことを鮮烈に思い出します。

探偵として、そういう曲があるのも悪くないな、と今でも思っています。

(まあ、ルパン三世のカーチェイスのテーマでも、ピッタリだったかもしれませんが 笑)