福岡中のヤバい案件 たらい回し …… こうして「探偵もり」は トップレベルの調査員になった

福岡市南区で開業した 若き探偵が、一人前に育つまで

今回は昔話を。開業したときの思い出です。

探偵業界なんて知りもしなかった二十代の若者が、どうやってトップレベルの調査員として、上りつめていったか――。

ミレニアム探偵 開業す

私が開業したのは、キリよく西暦2000年。

コネなくバックなく、弁護士用語で言うところの、ソクドク (即・独)でした。

この業界によくあるのは、「別の調査会社で勤務していたら、そこの代表者に嫌気がさし、あるいはそこがツブれ、仕方なしに独立」というパターンです。

私は別でした。最初から、自分の名前で探偵事務所を開きたかったのです。

でも、そのせいで、業界には頼るべき先輩も、面倒見てくれるべテランも、後ろ盾になるコネクションも皆無でした。

 

でも開業後、依頼はすぐに来た!

しかし、依頼はすぐに来ました。それも山ほど。

大手調査会社やベテラン探偵が、なぜか仕事をガンガンまわしてくれたのです。

私は「ああ、駆け出し探偵に仕事をくれるなんて、なんと面倒見のいい人たちだ」とカンシャ感激しながら、その依頼を片っ端からこなしました。

今なら分かります。

自分のところでやれば、経費もかからず100パー売上になるのに、どうしてわざわざ金払って新人に丸投げするのか。

メチャクチャな仕事に決まってるからだっつーの。

私は、そんな裏事情知りもせずに、一歩間違えば、●●から●●されたり、●●●から●●されるような、危険な案件を受け続けました。

 

75点と90点と100点と65点

それでも私は、そんなメチャクチャな仕事を、次々とクリアしていきました。

もちろんメチャクチャ大変でした。

けれども、若く独立してしまった私は、世の中のことをよく知らず、ましてや探偵業界なんて何も知らなかったので、「自分にあてがわれたその仕事が、どれだけ条件劣悪で、危険で、厳しい仕事か」よく分からなかったのです。

むしろ、「探偵の現場は厳しくて当然! ミッションインポッシブル上等!と、逆にファイトを燃やしてしまったくらいです。(なんと無邪気な)

 

おまけに、

75点とれば上出来という高難度の調査で、

私は90点をとりながら、

100点じゃないことに難クセつけられていたのです。

65点しかとれない探偵に。

 

ハードなカリキュラムで 探偵として開花

でも、平均点70点のテストで100点を目指すというハードなカリキュラムは、その後の私を、「どんな依頼が来ても潰れない探偵」に叩き上げました。

初めてアクションゲームをする人間が、よく知らないまま最高難度に設定してしまい、それをクリアしてしまったため、その後はどんなゲームをやってもこなせてしまう……そんな感じでしょうか。

もちろん、私自身だけのチカラではありません。

様々な幸運が働いたのも否定しません。

致命傷スレスレの失敗も正直ありました。

私の探偵歴における大失敗は、大部分が最初の五年に集中しています。

こんなデタラメな新人育成法、今のデリケートな若い探偵には、とても勧められないと思います。

(だから弟子もとりません)

 

駆け出し時代 熱く燃えた調査の日々

けれど、駆け出し時代の、このムチャクチャな日々は、今思えば、どんな映画やマンガやゲームよりも、刺激的で、面白く、燃えるような毎日でした。

私に無茶振りしていた調査会社やベテラン探偵も、いつのまにか業界から消え、もう誰も残っていません。

今はどこで、なにをしているやら。

彼らを慕っていたわけでも、尊敬していたわけでもありません。

むしろ、ガラは悪いわ、品はないわ、金に汚いわ、凶暴だわと、ロクでもない悪党どもだったと記憶しています。

でも、キライではありませんでした。恨んでもいません。

この気持ちに一番近い感情は……やっぱり『感謝』なんでしょうね。